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【第一章  「古代ギリシアの哲人たち」】


 古代ギリシアは、西洋において初めて成熟した文化の生まれた地であり、時代であった。オリンピック発祥の地も古代ギリシアである。それ故近代オリンピックの第1回開催地はアテネであったし、21世紀最初の大会もアテネで開かれたのである。
 ギリシアに始まったのはオリンピックだけではない。「哲学」も又この地から始まった、と言われている。しかも哲学に関して言えば、何故かその始まりの日時と場所までが特定されている。紀元前585年5月28日、場所は古代都市ミレトスの町である。
 哲学とは人間の思索に基づくものであるから、人間がものを考え始めた日を規定するとはいささか奇妙な事であるが、実はこの日とは、古代ギリシアの哲人ターレスが「日蝕」の出現を予測し、事実その予言通りミレトスの町の頭上に「日蝕」が起こった、その日なのである。つまり人間が自然を観測し、その中に或る種の「法則性」を見い出し、その法則性で予見したとおりに事が起こった、いわば緻密な科学的観測の証しの瞬間であったのだ。
 ターレスのその業績は、今日の概念で言えば、哲学というよりむしろ科学の始まりと言った方がいいのかもしれないが、古代ギリシャの時代には、まだ科学と哲学のジャンル分けはされておらず、哲学であれ、物理学であれ、物事の本質を追究する抽象的な試みはすべて「Philosophia(フィロソフィア)」と呼ばれた。この抽象的思索が様々な分野にジャンル分けされて行くのはアリストテレス以降である。
 西洋の思想を語る上で、この「哲学」という訳語はあまり適切ではないように思われる。哲学とは字義通りには「哲る(さとる)」学であり、そのニュアンスはかなり主体的である。これに対して西洋の思想はきわめて分析的で、いわば客観的冷静さを保っている。西洋の思想家で「哲学」の言葉にフィットするのはニーチェ、ハイデッガーといった、いわゆる実存主義の哲学者たちだけではないだろうか。
 西洋思想の実態は「哲学」と言うより、むしろアリストテレスの用いた「Metaphysica」(メタフィジカ)の訳語である「形而上学」という言葉を充てる方がより適切でないかと思われる。「形而上学」は「ケイジジョウガク」と読む。これはこれで何の事なのかさっぱり分からない日本語であるが、「メタフィジカ」という言葉を直訳して行くと、多少ともその言葉の真意が見えてくる。「メタフィジカ」とは「Meta(後)」と「Physica(自然)」
の合成語で「後・自然学」、すなわち「自然(形あるもの)の背後に存るものを探る学」という意となり、我々の言う「哲学」の意を比較的よく表した言葉ではないかと思う次第である。因みに日本語で形而上学とは、「形より上」の学問という意を表していて、形あるものの上というか、奥というか、何か懸命にMetapysicaの真意を言い表そうとした痕跡が伺われる。
 さて西洋哲学の祖とも言えるそのターレスであるが、彼の名を最も有名にしているのが彼の残したかの断片句「万物の根元は水である」である。
 初期のギリシア哲学の共通目標は「万物の根元」を探ることにあった。勿論その時代に電子顕微鏡などはないから、あくまで思索と直観でもって探って行くのである。ターレスが、その根元を「水」と言ったのも、必ずしも「水」を徹底的に科学分析したわけではないので、彼の日蝕の予言ほど科学的根拠を持った発言ではない。言わんとすることが分からないでもないが、何となく当たらずとも遠からじと言った、まあ率直に言って単なる思いつきの域を出ていない。
 このターレスの「断片」に関しては、19世紀の哲学者ニーチェが次のように言葉巧みに評している。
 「ターレスがここで明らかにしていることは、万物の根元は一だということである。彼は『存在者の一元』を観たのであるが、いざそれを告げようとしたとき、つい『水』などと口走ったのである。」
 ターレスが「水」などと口走ったのなら、他の誰かが「火」と口走ってもよさそうなものである。事実古代ギリシア哲学の最高峰と言われるヘラクレイトスは万物の根元は「火」であるという論陣を張った。こうなってくると、或る者はそれを「空気」と言い、或る者はそれを「数」と言い、次第に思いつきのオンパレードの様相を呈して来る。そしてついにはエンペドクレスのように「水と火と土とお・・・」と語りだし、一元であるはずの「根元」に「地火風水」の四大元素を唱える者も現れて来るようになる。ここから西洋哲学史はいよいよ迷路もどきの、際限のない思考の大海の中に踏み出して行くのである。
 こうした万物の根元の探求合戦の中ではデモクリトスの「元子論」が近代の物理学に最も相通ずるものなのであるが、思いのほか古代ギリシアの哲人たちの中では、彼はそれほどの評価を受けてはいない。確かに「万物」を「物質」としてのみ捉えれば、それを細かく細分して、その最小粒子に辿り着くというのは、まあ自然な思考の流れであり、それほど声高に唱えるほどのユニーク性はないであろう。言ってみれば「元子論」は哲学的ロマン性に欠けるのである。
 ギリシアの哲人達は、先程述べた「メタフィジカ」ではないが、目に見える物質などには目もくれず、更にその奥にある「根元」を探し求めようとしたのである。彼らのその知的探求は、現代でもなお人間の知性にとって相当に魅力的な課題だと思われるのだが、哲学史的には、都市国家群としてのギリシアが衰退し、それに代わってローマが台頭して来た辺りから、このテーマは余り人間の思考の対象にはならなくなったようである。いわば哲学そのものが次第に下火になって行ったのである。因みに「古代ギリシア哲学」という言葉はあるのだが、「古代ローマ哲学」という用語は余り耳にしない。

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【第二章  「ローマカトリック」】

 その要因は主として、ローマ人が性格的にギリシア人ほど暇人ではなく、国土の拡張と物質的繁栄への飽くなき貪欲さを有した民族であったせいかもしれない。早い話、ギリシアがそれぞれ都市国家で十分満足して生活していたのに対し、ローマは営々とヨーロッパ全土に跨る大帝国を築き上げたのである。
 とは言えローマは長い歴史を有した国なので、物質的繁栄期に続いて、当然精神的成熟期というものを迎えてもよかったはずなのだが、不幸にして(敢えて不幸にしてと言うが)ローマの栄光に陰りが見え始めた時、折良くそこにやって来たのは「キリスト教」であった。
 ローマがその広大な帝国を運営して行く上で、全国共通の貨幣が必要であったであろうと同様に、帝国全体のアイデンティティーとしての何らかの道徳的規範を必要としていた、ということは想像に難くない。ただ、それが何故イエス・キリストの教えであったのか?それがイエス本来の威光の故であったのか、それとも単なる歴史のいたずらなのか・・・更に言えば、キリストの教えは他の宗教から突出して本当にそれほど偉大な教えだったのだろうか?もしかしたらそれはただ単に、ローマが強大であったが故に今日の宗教的地位を築き得ただけなのではないだろうか?百歩譲って、キリスト教がローマの国教になったのはその宗教的崇高さの成せる業であったとしよう。しかしながら、キリスト教が今日世界的宗教となり得ているのは、どう見てもローマの力業の結果としか思えない。
 ここで「キリスト教」と言うとき、それは必ずしも「ローマカトリック」のみを指しているのではない。ローマカトリックにおいて「布教」は帝国の拡大と不可分一体のものであったが、その体質はプロテスタントが台頭した後の「大航海時代」においても変わってはいない。南米においても、インドにおいても、近代のアフリカにおいても、そこで行われた「布教」は、「侵略」とセットになった「改宗」であった。そうした観点から見ればローマ崩壊後の中世ヨーロッパも、現代ヨーロッパも、そしていずれ出現するであろうEU合衆国も、すべて「ローマの末裔」なのである。
 そもそもこの日本語の「布教」という言葉もなかなかの曲者である。日本史の用語で「仏教の伝来」という言葉がある。仏教は或る時大陸から日本へ「伝来」したのである。別の言い方では「伝播」とも言う。この言葉の中には、或る尊い教えが波のように自然に伝わって来た、というニュアンスがある。しかしキリスト教を語る場合、教えが勝手に波のように伝播してきたとは表現しない。それはフランシコ・ザビエルが日本に「布教」したのである。「布教」という日本語の中には最初から、知ってか知らでか「力業による価値の押しつけ」というニュアンスが既にどこかに含まれているように感じられる。
 別にキリスト教に恨みがあるわけではないが、いずれにしろ「ローマ国教」というこの強大な思想集団の登場によって、西洋における「万物の根元」の追求は完全に終止符が打たれてしまった。というのも、そこには既に、問い掛ける余地もなく、人間の思索のプロセスを経ない神聖不可侵の解答が与えられていたからである。即ち「万物の根元は神である。」と。
 それはそうかもしれないが、それをローマ法王が言い切ってしまったならば、そこで哲学的思索は停止してしまうことになる。しかも一層たちの悪いことに、かのガリレオの例でも分かるように、もしその事に盾を突こうものなら「火炙り」だと脅されるのである。
 国家の権威を神の権威と重ね合わせて国民を支配するという手法は独裁政治の常套手段ではあるが、それは当然思想の弾圧を伴い、そして政治思想とは何の関係も無い「万物の根元は何か?」という哲学的問い掛け、哲学的思索そのものの断絶をも招いてしまったのである。
 「中世の暗黒時代」と言うが、ローマ崩壊後のヨーロッパが一種の野蛮化の時代を迎えたのは「文明の崩壊」ということもあるだろうが、階級を問わず、単一神学故の思考訓練の欠落ということが多大に影響したのではないだろうか。
 ローマ、及び中世を通し、哲学的思索活動が行われたのは教会の中のみであった。しかしながら、当然の成り行きとしてそれらは「万物の根元は神である」事を大前提とした論議であり、神学論争などと言っても発展的考察など望み得ない、極めて躍動性を欠いた思索活動であった事は想像に難くない。
 その意味において、西洋に健全な思索活動が戻ったのは産業革命以降、ブルジョワジーと呼ばれる市民階級が誕生し、ローマ法王を背負った専制君主の時代が終わった時からである。何と、ギリシアの終焉以来、約二千年の歳月を要している。それはいわば、二千年の思索の凍結であった。
 文明の発展が果たして人類の幸福に結びつくのか否かの論議は別として、ニーチェの「神は死んだ」という象徴的宣言を境に、西洋文明が幾何級数的とも言うべき飛躍的発展を遂げたことでも分かるように、教条主義による人間の思索の圧殺は、文明にとって致命的な停滞をもたらすのである。それはソビエト連邦を始めとする嘗ての東欧共産主義国家においても見られた現象であるし、今日のイスラム社会に対しても同様の批判と警告がなされるであろう。
 さて、ようやく蘇った「万物の根元」の追求であるが、産業革命以降の飛躍的な科学文明の発達に伴い、物質的側面における「根元」の探求は急速なスピードで進んで行った。蒸気機関車が走り始めてから原子爆弾ができるまで200年とは掛かっていない。現代物理学においては、デモクリトスの語った「元子」の領域をとっくに通り抜け、物質か否か定かでない領域にまで、その「根元」を追い詰めようとしている。物質界に限って言えば、その探求はそろそろ最終局面に差し掛かっていると言ってもよい。
 いずれそう遠くない時期に、物理学は、古代インド哲学が語った「空」の領域にまで踏み込み、今はまだ「神秘学」と呼ばれているインド哲学の世界を、数値的に把握する時を迎えることになるであろう。
   
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【第三章  近代心理学・・・フロイトとユング】

 しかしながら先程も述べたように「万物の根元の探求」とは、何も物質を細分化して行く事だけではない。それは観測機器の発達で何とかなる。「万物の根元」の追求のもう一つの側面は「メタフィジカ」即ち物質の背後、人間の五感を越えたところにある「何か」の追求である。
 このルートに関し、最も注目すべき思想家が、やはり19世紀に登場する事になる。それは、西洋世界における最初の体系的心理学者、ジグムント・フロイトである。
 フロイトの功績は人間心理の「無意識」(unconsciousness)の領域に光を当てたことである。これは「深層心理」と呼ぶ方がより理解しやすいと思われるが、物質的側面における「根元」の探求が「物質の細分化」という方向に向かったのに対し、人間の「心の根元の探求」として、心理の深みへと目を向けたのがフロイトの歴史的着眼であった。
 大洋の深海に直径数メートルの大蛸が棲んでいる(かもしれない)ように、人間の心の奥底には、もしかしたら思いも掛けない生き物が潜んでいるかもしれない・・・ノーチラス号ならぬ、膨大なカウンセリングと夢判断を通して、彼は人間の心の底の底を探求して行った。その探索の結果、彼がそこに発見したものは・・・大蛸に勝るとも劣らぬ・・・一種の「モンスター」であった。
 フロイト以前は(というより今日でも)人間の行動は人間の思考と意志に基づいて行われるものであり、逆に言えば、人間の行動は、特別な感情的行動を除いて、たいていの場合は合理的説明が可能なものだと考えられていた。法律的観点から言えば、「犯罪」には必ず「動機」が存在するのである。
 しかしフロイトは、人間が「思考」と思い込んでいる人間の「表層意識」など、実は自分の行為に対するただの言い訳に過ぎず、その行為の根元には、表層意識から見ればほとんど理不尽とさえ思える暗い衝動、しかも衝動と呼ぶには余りにも冷静で狡猾な「知性」が存在しているのだ、ということを証明して見せたのである。
 端的な例を挙げよう。(これはフロイトに続く深層心理学者、カール・グスタフ・ユングからの引用であるが)例えばあなたがタクシーに乗っていて、事故に遭遇したとしよう。あなたはそこで重傷を負い、長期入院することとなる。そしてその事が契機となって、あなたは長年勤務していた会社を退職する羽目になってしまう。
 「無意識の心理学」は、この事件を次のように解釈する。あなたは常々、もしくはごく最近、仕事に不満を感じ会社を辞めたがっていた。しかし家族や生活の問題もあり、そう簡単に辞めることはできなかった。そこであなたの「無意識」は強硬手段を取り、あなたを事故に「遭遇」させ、会社を辞めるきっかけを作った・・・と。さてここで重要なのは、事故の時、車を運転していたのはあなたではなかった、という点である。あなたがドライバーの運転を妨害した、という形跡もない。にもかかわらず、あなたは事故に遭った・・・「無意識」はそんな離れ業までやってのけると言うのである。
 この解釈に多少とも説得力があるのは、事故というジョイントを支点として、会社を辞めたいというあなたの願望と、事故の結果起こった事がきちんと結びついている点である。皆がみな、交通事故で入院したからといって会社を辞めるわけではない。あなたはただ、事故を契機にエイヤーッと(或いはやむを得ない流れとして)会社を辞めたわけであるが、無意識の心理学では、それら一連の流れを「あなた(もしくはあなたの無意識)が仕組んだこと」と解釈するのである。ほとんどこじつけと紙一重、と言って言えないこともないが、これが「無意識の心理学」の基本スタンスである。
 さて、こじつけ論はちょっと横に置いて、この論理が罷り通るとなると、人間はものを考えて行動しているのか、考えさせられて行動しているのか判然としなくなって来る。もし自分自身の無意識が「考えさせて」いるのだとするなら、ではその無意識とは一体誰なのか?自分自身なのか、それとも自分以外の他の何かなのか?そもそも心の中の何処までが「自分」なのか?
 ユングはそれに「真の自分」を表す意味で、自我(エゴ)と区別して、新たに「自己」(セルフ)という名を付けたが、とはいえ、名前を付ければそれですむという問題ではない。セルフとは一体何者なのか、それにそう簡単にそれを「真の自己」などと呼んでいいのか。かつて物理学で原子核を物質の最小単位と呼んだ時代があったではないか。「表面意識」が「無意識」によって操作されるならば、更に奥底のその「セルフ」も又何者かによって操作されているのではないのか?無意識の底の底の底の暗闇には一体どんな怪物がすんでいるのであろうか?
 フロイトが心理学の創始者として確固たる地位を築いていることは言うまでもないが、それに比してその後継者であるユングは、その知名度の割には、必ずしも心理学者として広く受け入れられているわけではない。というのも、フロイトの場合は、無意識の存在を示しはしたが、その底を「性衝動」にとどめた故に、何とか「学」として成り立たせ得たのである。あなたの思考、行動はすべてあなたの心の奥の「性衝動」に影響されているのですよ、と言われれば、胸に手を当てて「なるほどそうかもしれない」と、多少の反発を伴いながらも或る程度常人を納得させる事ができるであろう。しかしながら、あなたの心の奥にはセルフというものがあり、そこには「老賢人」が棲んでいて・・・等という話を聞かされても、果たしてそれは大学の教授が教壇で語るべき事なのだろうかと、一歩引かざるを得ないであろう。
 ユングが心理学界の一部において排斥されている最大の理由は、彼が本当に「学者」なのか、それともただの「神秘家」なのか判然としないところがあるからである。
 「神秘家」では何故いけないのかと言えば、「神秘」の世界は、我々の五感によってはどこまで行っても実証不可能の世界であり、ターレスが万物の根元を「水」と口走ったように、思いつきで何とでも言えてしまう世界だからである。そこは我々の「学問」の世界からははみ出した「検証不能」の領域である。
 しかしながら翻ってみれば「万物の根元」を最初に探求した古代ギリシアの哲人達は、いずれもこぞって実は「神秘家」であった。ターレスを初めとするミレトスの七賢人然り、ピタゴラス然り、ソクラテス然り、プラトンは言うまでもなく、もしかしたらアリストテレスすら・・・西洋文明の根底にある古代の知恵は、すべて神秘家達から生まれたものであった。
 という事は、ユングの登場によって、西洋はようやく古代ギリシアの視点に立ち戻ったのである。「万物の根元」の探求とは、必然的に神秘の領域に踏み込むことになる。「メタフィジカ」(後・自然学)とは、一方では自然の背後にある物理的法則を見い出す事であった。されどもう一つの方向性として、それは本来「目に見えるものの背後の存在」・・・「神秘」の探求を当初より想定しているのである。 
 だとしたら我々の万物の根源の探求も、教科書に書かれた本来の学問的領域を一歩踏み越え、「神秘」の領域にまで敢えて進んで行かねばならない事になる。

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【第四章  古代インドの神秘哲学】

 「万物の根元」の探求は、必ずしも西洋においてのみ行われたわけではない。ギリシア文明の出現する遙か以前から、インドには「ヴェーダ」と証する膨大な哲学体系が存在していた。
  例えば古代インドにおいては既に「原子」に関する研究も完了されており、紀元前4000年以上も前に勃発したと思われる「核戦争」の痕跡が、文献的にも、遺跡的にも残されている。ただそれが「核戦争」として歴史に認知されていないのは、現代の視点から見て余りにも荒唐無稽な話である、という単に感覚的な拒絶反応によるものに過ぎない。「マハーバーラタ」に描かれた大戦争の模様は、どう見ても地上軍に空から核ミサイルが撃ち込まれた描写であり、しかもその戦争が行われたと思われるインドの高地には今なお、超高温によって溶解し冷え固まったガラス状の岩石が存在しているとの事である。
 古代インドには、このような荒唐無稽といえる話が数多く残っている。そんな彼らの話を非科学的なただの神話だと一笑に付すことは容易だが、しかしそうするには、彼らの残した古代哲学は余りにも知的、体系的であり過ぎる。
 例えば紀元前約1500年頃に成立したと言われている古代インド哲学の集大成「ウパニシャッド」(これは「ヴェーダ」の最後という意味らしい)には「万物の根元」に対して既に明快な解答が提示されている。しかもそれは誰かが口走ったとかいう「断片」ではなく、一つの「定説」として論理的に語られているのである。
 「ウパニシャッド」によれば、「万物の根元」は名付けることのできない「それ」である。「これはそれなり」というのが、ウパニシャッドを代表する有名な一節である。
 この「それ」という概念には、一種の確信が込められている。それには「それ」を認識した者のみが持ち得る強い真実の響きがある。彼らは確かにそれを「観た」のであり、そして彼らは自分の観たものが、決して言葉では語り得ないものであることを認識したのであり、それ故に「それ」としか語らなかったのである。これに比べるとターレスの口走った「水」という言葉は、いかにも頼りなげに見えてくる。
 しかもインド哲学では「根元」の素材の一つとして「水」の位置づけも明確にできている。「それ」という根元の上層に「すべてを生み出す無」であるところの「空」があり、その「空」から初めて、物質の源である「四大」即ち「地・火・風・水」が生まれて来るという、極めて論理的な宇宙構造が提示されているのである。
 これほどまでの高度な知的文献群である古代インドの哲学が、ギリシア哲学ほどには広く西洋世界に認知されていないのは、単に言語的な問題と、もう一つは論理的なスタンスのギャップによるものが大きい。18世紀後半から今日まで、約200年間に渡ってヴェーダ文献はかなりの勢いで西洋世界に翻訳されて来てはいるのだが、率直に言って、西洋人にはヴェーダ文献が何を語っているのか、未だもってよく解らないのである。
 インド哲学が充分論理的であることは一応了承はできても、彼らの論理的スタンスが必ずしも立証的立場を取っていないため、それが果たして科学なのか、哲学なのか、はたまた神話なのか、何とも扱いにくいのである。因みに、先に述べた物質の四大元素「地・火・風・水」にしても、それらの存在を数値的に測定する方法はどこにも語られてはいない。それ故、西洋哲学の立場からインド哲学を紐解いて行こうとするならば、物理学の領域における更なる進歩を待つか、それとも思い切って目をつむって「神秘学」の領域に踏み込んで行くしかない。
 この辺りはユング心理学と相通じるものがあり、いわばここが西洋哲学の限界線と言える
 とはいえ、インド哲学は決して思いつきと独断の羅列で築き上げられたものではない。インドはインドで彼らの論理を裏打ちする「実証手段」を有していた。それが「悟り」である。
 仕組みはこうである。インド哲学の創世論や存在論、認識論、ひいては天文学や医学、物理学等は、すべて「悟った者」の認識によって構築されている。そしてそれを客観的に証明するのは、観測機器ではなく、もう一人の「悟った者」である。
 某大先生にはこのようなものが見えた。それ故その大先生はこう語った。その言葉をもう一人の大先生が保証した。それでその某大先生の言葉は「真実」となる。こうした意味では日本語の「哲学=哲る学」という呼び名はインド哲学にこそ相応しい命名であるかもしれない。
 真理を求めるものは悟りに達しなければならない。ならば悟るとはどういうことなのか?人はどのようにして悟りに達するのか?当然の事ながら、インドでは「悟る」ための方法論も追求されている。それがヨーガに代表される様々な「行」である。
 こうして古代の哲人達が、彼らの悟りを通して得た認識を言葉にしたのが「ヴェーダ」であり、そのヴェーダをより論理的にソフィスケイトしたのが「ヴェーダンタ哲学」(ヴェーダの最終章)である。
 実際の所「万物の根元の探求」は、後のギリシア哲学の登場を待つまでもなく、この時既にすべて掘り尽くされてしまっている感がある。インドではその後サーンキャ哲学、仏教哲学等様々な哲学体系が生まれるのだが、いずれもベースは「ヴェーダ」であり、すべてはその派生物の趣がある。今日でも東洋哲学と称して、インドの教祖や神秘家達が引用するのは古代ヴェーダの知識である。古代知識をいかに紐解き、現代的に解説するかが彼らの仕事となっている。
 では、古代インド哲学が辿り着いた万物の根源は何だったのだろう?残念ながら、そこがこの「探求」の面白いところで、結局のところ「万物の根源」であるところの「それ」については何一つ具体的には語られてはいないのである。言葉にすれば嘘になる。「非ず、非ず」これでもない、あれでもない、それでもない、これでもない「それ」、と言う以外語り得なかった。ちょうどハイデッガーが「存在」についてあれほどいろいろと語りながら、「存在」そのものについては何一つ語り得なかったのと同様である。「それ」は人間の言語の範疇の外にある。そして同時に、そこには真に知り得た者のみが持つ誠意とリアリティーが伺われるのである。
 しかしながら、ここで引き下がっていては話が前へ進まない。実は古代インド哲学には「万物の根源」の実態を解く鍵として、西洋哲学には存在しないひとつの注目すべき概念がある。それは「マーヤ」と呼ばれる概念である。

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【第五章  マーヤ】

 「マーヤ」とは、サンスクリット語で魔術・幻影を意味する。即ちこの世はすべて神が手品のように創り出した幻影であり、何ら実体の無いものである、と言う考えである。
 すべてが「幻影」であるというこの発想は、多少プラトンの「イデア論」に似ていなくもないが、基本的に「無」を嫌う西洋哲学にとっては馴染み難く受け入れ難い概念であった。それ故ほんの少し前までは、それはただ単にインドの貧しさを助長する現実逃避的な迷妄として、どちらかと言えば否定的な扱いを受けていたのだが、ところが近年になり「ヴァーチャルリアリティー」という言葉が登場してから、俄然、文字通りリアリティーを持って、受け取られ始めて来た感がある。その一つの結果が、映画「マトリックス」である。
 この映画では、未来世界の支配者である大型コンピューターが人間一人一人を電力発生装置であるカプセルの中に閉じこめ、その生命力をコンピューター帝国のシステムを支える基礎エネルギーとして利用している。そしてその人間電池の耐用年数を保持するため、人間にそのカプセルの中で老いて死ぬまで一生「夢」を見続けさせる。それもただの夢ではない、精密にプログラムされた20世紀後半のニューヨークを舞台とした夢である。その夢の中にはすべてのカプセル人間達が参加する。即ち彼等は同じプログラムの中で相互関連的な夢を見るのである。
 それに気づいた、文字通り「目覚めた」人間達が、カプセルから抜け出し、支配者であるコンピューターに対し反乱を起こす、というのがこの映画のストーリーであるが、この映画の面白く、且つ恐ろしいところは「もしかしたらこれは事実かもしれない」という微かな疑いを我々観客に喚起する点である。この映画における「支配者コンピューター」を、そのまま「知的創造主−神」に置き換えても、ほとんど矛盾は出て来ない。つまり我々のこの現実が人類共有の一つの「夢」である可能性を、必ずしも否定できないのである。
 人間が蝶になった夢を見ているのか、蝶が人間になった夢を見ているのか、昔の中国の詩人が提起したテーマに、我々はまだ答え切れてはいない。
 これと似た哲学的テーゼとして、カントの研究家でもあった樫山欽四郎元早大教授の興味深い問い掛けがある。
 「もし人間がこの地上に存在しなくなったら、果たして富士山は存在するか?」という問い掛けである。
 人間は人間、富士山は富士山であるから、人間が地上にいようといまいと富士山は昔から在ったし、これからも在るだろう、と思いがちだが、事はそう簡単ではない。実は我々の存在、及びこの地上の存在のすべて、ひいては我々が観測可能な大宇宙も含め、我々が「そこに在る」と認識しているものは、すべてその存在を我々の「五感」に依存している。富士山はそこに「在る」のではなく、正確には我々の五感によって、富士山として「認識」されているに過ぎない。人間の視覚なしには、富士は富士としての形を維持し得ないのである。
 ならばそこに在るのは何か?現時点での素粒子論的視点から言うならば、そこに在るのは素粒子によって織り上げられた或る一定の「情報の集積」である。その集積された情報を、我々の五感、もしくは視覚は映像として捉え、脳の中で再構築する。そのプロセスを経て出来上がるのが「富士山」である。富士山は決して「見えている」のではない。富士山から送られてくる光の波を我々の視覚が捉え、その波動を脳の中で「色」に変換し、そして初めて富士山として脳に映し出しているのである。その現象を我々は「認識」と呼んでいる。
真実はこうである。すべての物質は人間に見て触れられない限り「形」としては存在し得ない。従って富士山はあくまで「見られる」存在であり、それを五感で捉える人間が存在しない限り富士山としての姿を保ち得ない。ただの素粒子のうねり、もしくは未だ未顕のソフトとしての情報に止まる。我々はそこに「在る」ものを見ているのではなく、そのように「見える」ものを見ているに過ぎない。
 現段階での物理学で考えれば、この宇宙の実体は壮大な素粒子のうねりである。そのうねりを個々に「物質」として分別しているのが我々の「五感」なのである。更に言うならば、その素粒子でさえ、最終的には人間の五感によって確認されたものに他ならない。だとすればその存在すらも危ういものとなる。究極的には、そこに在るのは「無」もしくは「不可知の情報」ということになる。
 「すべてが幻影」だと言うインドの「マーヤ」論も、あながち暴論とは言えないのである。
 では更に、富士山に関わるもう一つの設問を上げてみよう。
 「富士は何故美しく存在するのか?」
 これは単純に、富士山は何故美しいのでしょう?と聞いているのだが、これも又、ただ美しいから美しいのであって、そこに理由などあるわけがない、と答えたくなる。
 しかしながら、先に述べたように富士山の形状は人間の視覚なしには存在し得ない。ならば何故それは人間にとって「美しく」見えるのか?そもそもその「美しさ」とは何なのか?…それは、もしかしたら富士山というその情報が、初めから人間の視覚、及び感性を前提としてプログラムされたものだからではないだろうか?もしそうだとすると、富士山が登場した原初の時点において、既にそれは人間の五感とリンクしていたことになる。
 こうしてみると、富士山に限らず、宇宙におけるすべての形、及びその動きが、人間の五感を前提とした一つの壮大なソフトである、という推測も成り立つ。まさに「マトリックス」の世界である。
 この「マーヤ」の概念は、その後の仏教哲学において更に興味深い概念に変貌して行く。それがかの有名な「色即是空」における「空」である。
 この「空」は「サーンキャ哲学」の「空」とはかなりニュアンスを異にする。サーンキャ哲学の「空」は「五大=地火風水空」の空であり、「根源物質」もしくは「物質の母体」として「非顕在実体」としての意が強いのであるが、仏教の「空」は「マーヤ」の概念を色濃く受け継いだ理念であり、むしろ「無実体」の意が強い。但し「マーヤ」が「神の創った幻」という比較的素朴な概念であったのに対し、「創造主」というものへの関わりを嫌う仏教は、その「幻」の出現に極めて精密な理論構築を行った。それがかの「唯識論」である。
 「唯識論」によれば、この世の「幻」を創り出しているのも又人間の「意識」である。それも心の深い深いところに在る人間の意識である。その名を「阿頼耶識」(アーラヤシキ)と言う。そして、その「幻」に打ち興じ、恐れ慄き、苦しみのた打ち廻っているのも、又人間自身である。幻を「見る」人間の意識を「六識」と言う。「五感」の意である。
 これが何を言っているかと言えば、人は「阿頼耶識」という己の意識の一部でもって自らの人生を「空」のスクリーンへ映し出し、その一方で、己のもう一つの意識である「六識」でもって、その映像(=創りだされた現象)に一喜一憂している、と言うのである。
 これはそのままユングの「無意識論」である。いや、むしろユング以上に壮大で且つ完成度の高い「無意識論」であると言えよう。
 人間の脳はその生涯に亘ってほんの3%くらいしか使用されないままでいる、と言われている。では残りの97%は一体何をしているのだろう?ずっと眠ったまま夢でも見ているのだろうか?事実はどうやらその逆のようである。夢を見ているのは表面意識の3%で、あとの97%は密かにその夢を織り続けている(らしい)のである。
 それではまるで生涯一人でジャンケン遊びをしているようなもので、まったくのナンセンスではないか、と言いたくなってしまう。まさにその通りである。だからそろそろこのようなナンセンスは終わりにしよう、というのが釈迦の立場である。

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【第六章 釈迦の検証】
 仏教の創始者釈迦は、その登場の時点で既にそうであったように、インド哲学史における「異端児」である。釈迦の行った事は、当時のエリート階級であった「バラモン教」に対しての宗教改革であった。彼は、当時の哲学かぶれしたバラモン教に真っ向から対立し、ヴェーダの語る小うるさい存在の真実などという問題は人の生きる助けにならないとして脇へ避け、人間の生きる正しい道とは何かを説いた。その意味で哲学史的に見た釈迦の登場は、古代ギリシアにおけるソクラテスの立場に似ている。
 「ソクラテスによって哲学は堕落した」とは、ニーチェの有名な言葉である。ニーチェがここで何を言っているかと言えば、本来哲学とは、それがどのようなものであれ、存在の在りようを「自分自身に関わりなく勇敢に見つめる事」であったはずなのに、ソクラテスは「人間如何に生きるべきか」などという(哲学者として実に女々しい)テーマを持ち出した、というのである。
 ソクラテスに対するこのニーチェの評価は重要である。それは「哲学とは何か?」という「哲学」の定義を明快に語り切っているからである。哲学は人間の日常性とは関わりなく、ニーチェの言うように「存在の在りよう」を追求する学である。そこには創造主に面と向かって対峙する毅然とした姿勢が存在する。これはいわば宇宙学であり、天上学である。それはただ「観る」ただ「知る」という行為であり、そこには何一つ「価値観」というものは介在していない。もしそこに何らかの価値観が関わってきたら「観る」という行為自体に偏見が生じ、在るものが在る通りには見えなくなってしまうからである。この姿勢は今日でも学問の基本的立場してとして特に科学の世界には厳しく受け継がれて来ている。
 これに対して「人間如何に生きるべきか?」という問い掛けは、明らかにこの「地上」に重心を置いた問い掛けであり、そこには初めから「私は如何に生きれば得か?」という地上の「価値観」が内在している。
 如何に生きるべきかと人は問い、その問い掛けに対し哲学は一定の距離を保とうとし、宗教は積極的に応えようとする。そしてそれに応えるのが宗教の務めであるならば、宗教は神を扱いながら実は初めから地上に関わっている。同じように創造主に注目しながら、哲学と宗教を峻別するのは正にこの点である。その意味で釈迦は掛け値なしに「宗教家」であった。
 仏教の存在論はヴェーダの語る「それ」を敢えて無視している。仏教は、この時空間の中にあって、我々人間がその感覚器官で認知できる世界のみを「一切法」即ち「存在のすべて」と規定した。たとえ他に何等かの世界があろうとも、それは我々人間の認知し得ないものであり、認知し得ない以上それは我々にとって無きに等しい世界である、と仏教は考える。それは又、この現象界である時空間の世界こそが、仏教の取り扱える限界であり、また取り扱うべき世界である、と予め自らの能力の限界とその役割を規定したとも言える。先に述べた認識論でもってこの「現象界」という言葉を定義するならば「全存在の内、人間の五感によって切り取られた部分」という事になる。それが仏教、および今日の「科学」が取り扱う世界なのである。
 どちらが良い悪いという問題ではないが、しかし、だからこそ、冷徹な哲学的視点から釈迦の教えを検証するとき、思いがけない綻びが出てこないとも限らない。
 「人間如何に生きるべきか?」という問いに対する回答でもある釈迦の教えを今一度振り返ってみよう。
 仏教の説く生の目的は「悟り」であり「解脱」である。即ちこの世の「輪廻」から解き放たれ「涅槃」へと到達することが人間の最終目標として設定されている。
 では何故そのような目標が生まれたのであろうか?それは釈迦がこの世を「苦の世界」と観たからに他ならない。
 仏教の経典ではこの世の代表的な「苦」を四つあげている。四苦八苦のあの「四苦」である。四苦とは「生老病死」を指す。苦の一等最初に「生」を持って来ていること自体、最初からこの世を否定していることに他ならない。この世に生を落とすこと自体が「苦」の始まりだというのである。「老病死」は言うまでもない。若き釈迦が賢者に案内され、生まれて初めて老人、病人、死人という恐ろしく醜いものに出会ったところから彼の宗教的出発が始まる、という有名な挿話に釈迦の宗教的テーマというものが端的に集約されている。 
 この世は「苦」である。この世でいかに物質的、政治的栄華を誇ろうとも、人は必ず老い、患い、そして死んで行く。仏教には一方で「輪廻転生」という一種の永劫思想が存在するが、それを加味したとしても、たとえ何回生まれ変わろうとも、人はこの限界性から抜け出すことはできない。輪廻はただ「永続する苦」を提供しているに過ぎない。それ故この理論は必然的に「出口」を求める事になる。それが「解脱」であり、「涅槃」である。
 従って生を受けている間に人は行をし、悟りを得なければならない。仏教徒の「修行」の意味はここにある。仏教の説く善悪論、価値観も又「悟り」を基準に設けられている。この世の「正しい生き方」のガイダンスである「八正道」も、悟りに至るための最も効率的な生き方を述べたマニュアルに他ならない。  
 しかしながら、これは何故か誰も言わない事だが、この釈迦の論理展開には一種の飛躍というか、大きな検証の「欠落」が存在している。その飛躍とは「苦=悪」という断定である。
 確かにこの世は苦に満ちている。病はともかく、老・死は誰しも避けて通れない道である。だからといって、果たしてそれらは本当にそこから脱出を図らなければならないほどの「悪」なのであろうか?「生老病死」を「苦」と規定し「悪」と規定したのは、いささか釈迦の早合点ではなかっただろうか?という疑問を挟み込む余地がそこにはある。もしかしたら仏教の教理体系は、この釈迦の早合点の上に築かれた壮大な蜃気楼ではないだろうか?という可能性が残るのである。
 そのような疑問を投げ掛け得る根拠は、仏教の論理展開が苦の世界である「この世」から出発している点にある。悟りも涅槃も極楽も、或いは菩薩による救済も、すべてこの世あっての相対的存在に他ならない。仏教は救済のための教えであるのでそれはそれでいいのかもしれないが、敢えて釈迦の回避した「存在論」的観点からこの論理体系を眺めるならば、そこには「この世の成り立ち」を語る視点が欠落している事に気づく。論理の飛躍とはその点を言うのである。
 この世は苦に満ちている。それは解ったが、だから直ちにそこから退避せよ、ではなく、何故この世は苦に満ちているのか?そもそもいかなるプロセス、いかなる原因によってそのような世が出来てしまったのか?しばしばキリスト教徒が素朴に問い掛けるように、もしこの世界を神がお作りになったのであれば、何故このような悲惨さが世に満ちているのでしょうか?という問い掛けが今一度成されなければならないし、又それに対する何らかの回答も提示されなければならない。そうでなければ、もし万一何らかの必然性の許にこの世があり、この世の苦が存在しているのだとすれば、解脱というこの世からの脱出は、もしかしたら取り返しのつかない誤った選択であるかもしれない、という危険性が残されるからである。
 そういう疑問が提示されるだけの大きな検証の欠落が仏教にはある。その検証とは「四苦の無い世界」の検証である。
 四苦の無い世界・・・それは一体どのような世界であろうか?
 その世界に「老い」はない。となると、その昔「酒は旨いし、姉ちゃんはきれいし」という「天国の歌」が流行ったことがあるが、そこは若々しい青年とピチピチとした若い女性で満ちあふれている事になる。もちろん病もないから不健康な顔をした者もいない。いずれも美男美女の集まりである。そして死なない・・・永遠に生き続ける・・・さて、ここに検証すべき問題がある。
 これらの美男美女達は、永遠に生き続けて何をするのであろうか?永遠に生きるとは一体どんなライフスタイルを彼らにもたらすのであろうか?考えようによっては、いや考えるまでもなく、それはどんな地獄にも勝る、死ぬほど退屈な世界ではなかろうか?
 「不老不死」も四苦の世界においてこそ価値がある。或いは一方に四苦の世界が存在してこそ相対的価値を持ち得る。もしそのような世界が単独で存在していたなら、そこの住民は生そのものに途方に暮れるのではないだろうか?
 そこに可能性としての「死」があってこそ、「生」は生としての緊張感いわば「リアリティー」を持ち得る。映画「マトリックス」の中で、かのエージェント・スミスはモーフィアスに次のように語っている。
 「我々は当初この20世紀のニューヨークのような粗悪な世界ではなく、人間たちが安心して平和に暮らせる完全なユートピアをプログラムした。しかし人間たちはその世界に現実感を持つことが出来なかった。彼らは苦痛のない世界に耐えることが出来なかった。早晩そのプログラムは崩壊した。」
 もしそこに死が無ければ生そのものも存在し得ないのは、実は自明の理なのである。四苦の無い世界、もしかしたらそこは「何も無い世界」かもしれないのである。
 これに近い世界が嘗てこの地上にあった(とされている)。それは例のアダムとイヴの世界、「旧約聖書」における「エデンの園」である。「エデンの園」が一体どのような世界であったのか、これも改めて検証する価値がある。

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