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1/31・2/1過去生(前世)ヒーリング 個人セッションin出雲
はじめに

 ライフリーディングはみなさんの過去生を透視する作業ですので、自ずと過去の歴史の一場面を垣間見ることになります。そして時折、私たちは歴史書で語られているような有名な場面と遭遇することもあります。それらの歴史的場面は、教科書で語られているように包括的なものではなく、まさに肉眼で確認するようなリアルな光景ですので、多くの場合歴史書で語られている事とかなりの差異があります。
   その点を余り声高に追求しますと、歴史書が違っているのか、私共のリーディングが違っているのかという、シリアスかつ不毛の論争を生むことになりますので、キリストに妻子がいたか?などということに関しては余り探りを入れないことにしていますし、又探っても公表しないことにしています。
 それでもこれまで取った100あまりのリーディングの中には、こっそり誰かに耳打ちしてみたくなるような、興味深い例がたくさんあります。そこでそのいくつかを、リーディングを受けられた方にも差し障りのない範囲で、今後定期的にご紹介して行きたいと思います。第一回は「邪馬台国」のお話しです。



 我が国の古代史の中で最も白熱した論争の繰り広げられているのが「邪馬台国論争」です。
中国の「三国志」の一節(一般に「魏志倭人伝」と言われている部分)に出て来る「倭の国において女王卑弥呼に統治されているある程度の統一国家」が「邪馬台国」なのですが、それが一体日本の何処にあったかが問題なのです。
 というのも「魏志倭人伝」は、中国からその国に行く行程を妙に詳しく綴っていて(それが却って仇になっているのですが)その通りに素直に道筋を辿ってゆくと、どうも海のど真ん中か、ありもしない島に辿り着いてしまうことになるのです。
 そこでその記述のどこかが間違っていると言うことになるのですが、何処がどう間違っているかという仮説の立て方によって、邪馬台国が九州へ行ったり、畿内に行ったり、沖縄に行ったりしてしまうわけです。
 卑弥呼の墓でも出て来れば一気に片づきそうな論争なのですが、ところが、どうやら卑弥呼の墓らしいというもの(箸墓古墳)が出てきても、その古墳の入り口に「卑弥呼」という墓標がついていたわけでもないので、依然として決着が着かない状況です。ただ、近年は「畿内説」の方が何となく優勢の雰囲気ではあるようです。

 さて我々のリーディングではどうかと言いますと、ズバリ「畿内説」なのです。或る方のリーディングの中に次のような一節が出てきます。
 「西暦300年代、あなたは再び、日本の奈良地方に住んでいました。あなたが住んでいたのは当時の政治の中心地近くの山の中で、その地を治めていたのは卑弥呼でした。その国が「邪馬台国」という名で呼ばれていたかどうかは分かりませんが、卑弥呼の国があったのは、間違いなく現在の奈良地方です。」
歴史書における卑弥呼の統治年代は西暦230年代もしくは240年代ですのでこのリーディングの年代とは60年以上の開きがあります。正直なところ、我々のリーディングの「年代測定」の精度については、余り自信はありません。(霊界の「時間」はかなりアバウトで、年代に関してはたいていの場合「何年頃」という曖昧な表現でしか語られません。)従ってこの年代に関しては歴史書の方が正しいかも知れません。
でも「卑弥呼の国」という言い方ではありますが、場所に関しては言い切っていますので、おそらくそうなのでしょう。
 文化風俗に関しても、歴史書とは微妙な差異があります。例えば「魏志倭人伝」では当時の人々がどのような家に住んでいたかはくわしくは書かれていませんが、このリーディングでは、おそらく郊外の人々だとは思いますが「横穴式住居」に住んでいたと語られていますし、又当時の産業についても歴史書には既に農耕文化や絹織物の技術があったことは書かれていますが、醸造の文化があったことには触れていません。お米を作っている以上当然お酒も造っていたとは思われますが、リーディングではその「酒造り」の作業について語っています。

 「国家があったとはいえ、当時の文化レベルはそれ程高いものではありませんでした。あなたが住んでいたのは山肌をくりぬいた、いわゆる「横穴式住居」で、あなた方一家全員がそこに住んでいました。」
 「大きな器にお米らしきものを入れて、それを両足で踏んでいる若い女性の姿が見えます。それがこの時のあなたです。あなたの家族の仕事(というより与えられた役割)はお酒の醸造でした。あなたはとても元気で働き者の娘でした。」

 というわけで、私たちのリーディングでは、当時(西暦300年頃)現在の奈良地方に卑弥呼の治める「文化都市」らしきものがあった、と語っています。もしかしたら「箸墓古墳」は本当に卑弥呼の墓なのかも知れませんね。敢えてそのチェックはしていませんが・・・(続く)





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